Board Game3

戦車ボードゲーム(拡張セット)

『第一次ノモンハンの戦い』

1939年に勃発した日本とソビエトによる国境紛争をテーマにしたシミレーションボードゲーム『ハルハ河の砲声』の前日譚とも言うべき前哨戦「第一次ノモンハン事件」をゲームにいたしました。

今作は、ハルハ河の砲声のマップをつなぎ合わせて、拡張させる事が出来ます。

勿論こちらのボードゲーム単体でも第一次の戦いとしてプレー出来ます。

日本初の国産戦車、八九式中戦車や九四式37mm速射砲、ソビエト軍BT−5快速中戦車などが激突します。


◼︎対象年齢:5歳〜おじちゃん ◼︎プレイ人数:2人*4人(4人:ハルハ河の砲声拡張ボードとしてプレイした場合)

◼︎プレイ時間:15〜45分 ◼︎インスト時間:(ゲームの説明)5分 ◼︎3歳以下幼児の誤飲注意  ◼︎コンポーネント(付属品)ボード×1   サイコロ×1 スペックカード×6 工兵カード×1 イベントカード×4 説明書×1

日本軍:

89式中戦車×2 94式37mm速射砲×1 歩兵×1 防御保塁×1

ソビエト軍:

BT-5快速中戦車×2 BA-10装甲車×1 歩兵×1 防御保塁×1

本体価格 ¥3,980円(税込み¥4,378円)送料別途 

外箱は横にスライドして開けます。

箱内コンポーネント

ゲームで使用するコマは、全てオリジナルでモデリング(設計)したリアルな戦車のコマを3Dプリンターで出力し、塗装しています。リアルと申しましても、コマが小さすぎて

細部は表現出来ておりません(3DPALプリンターの限界で・・)申し訳ありません・・

が、気分的にはリアルなんですよ。

スペックカードは6種類。当時の戦車や兵器の性能が記載されています。カードの(兵器の)性能により、それぞれ特徴が有ります。

イベントカード4枚と工兵カード1枚。イベントカードは、行動力(MP)3を消費して

自軍手番で引くことが出来ます。自軍に有利なイベントなどを使って戦います。

工兵カードは、自軍手番に防御保塁のコマを自軍に有利な位置に置くことが出来ますが、一度置いたら動かす事が出来ません。ボードから外す場合は、防御値20を超える砲撃を

行わないとどけられません。


前作のハルハ河の砲声よりも、旧式な戦車が戦いますので、装甲厚(防御力)が全体に惰弱な分、遠距離からの砲撃が有効です。うまく保塁などを使って戦うのがコツです。


ハルハ河の砲声の拡張ボードとしてプレイする場合は、河がつながるように左右どちらでもマップを置くことが出来ます。繋げてプレイした時は、ハルハ河の砲声ルールで勝敗を

決します。(敵軍を殲滅または、敵陣地占領)

戦車ユニットが増えますので、2人チームで日本軍/ソビエト軍に別れ、4人でもプレイ出来ます。上手くユニットを分けて戦ってください。

『第一次ノモンハンの戦い』の実際プレーした動画が出来ましたので、プレーする時の参考になれば幸いです。

『ハルハ河の砲声』は別売です。


ゲームルール早見表


登場戦車解説

八九式中型戦車(イ号/チイ・甲乙など)

1920年代に開発、日本国産初の戦車として量産された。そのフォルムは無骨だが、最大装甲厚は17mmとのちの九七式中戦車の25mmと比べて防御力は低い。試作機と言う黎明期の戦車で、度々改修され色々なタイプが存在していた。開発当初は10t以下で軽戦車と呼ばれるが、運用部隊のフィートバークを受け、最終的に重量が増え中戦車となる。

日本初の機械化部隊に編成されたが、足回りが弱く悪路での故障や、装甲車と進撃出来ない最高速度25kmと言う遅さが足かせに。なかなか初めての兵器の運用は難しかったのでは無いかと思います。太平洋戦争末期は戦車不足を補う為、退役した同戦車が沖縄の首里城防衛に駆り出されとも。

完成された性能とは言い難い黎明期の本戦車は、中々活躍出来なかったとは思いますが、私が思い描く無骨な装甲デザインとフォルムが戦車らしくて絵になる車体が好きです。



九四式37mm速射砲

1920年代にフランスの歩兵砲をオマージュして開発され、機関銃陣などの破壊を主眼にしていたが、榴弾でも当時の装甲車両などにも威力を発揮し、車輪で歩兵数名で移動が可能で頼りになる兵器だった様です。各国が新型戦車などの開発競争の中、防御装甲力が上がる事を見越して、徹甲弾も開発され本ゲームのノモンハンの戦いでは、多くの戦車や装甲車両を撃破して活躍したと言われている。

ソ連崩壊後に公開された資料では、ソビエト軍の戦車の8割ほどがこの砲に撃破されたとの報告も存在している。しかし、太平洋戦争では、イギリス軍所属のM3スチュワート軽戦車(アメリカ製)の装甲に苦戦し、砲自身の防御力が低く丸太で陣地を作り固定で戦ったと言う。

アジア南方戦線では、本砲1門の連射と待ち伏せによる至近距離からの戦法で、M3中戦車(アメリカ製多砲塔戦車)と渡り合い5両を破壊したとも。どうやっても勝てない装甲厚に、当時の日本人は知恵と根性と度胸で戦って散って行ったのだと思うと切なくなりますね。


BT-5快速中戦車

1930年代にソビエトで開発され、主に開発時のコンセプトは騎馬兵部隊の支援や足の速さを活かした長距離走行作戦などが想定されていた。初参戦は1937年のスペイン内戦で、45mm戦車砲の威力で他国の戦車を圧倒した。本作の様な平原での地形でその機動力をフルに発揮して、日本軍を圧倒するはずだったが、剰員の練度が低く、速度を優先したがゆえに装甲厚が薄く、練度の高い日本軍に予想以上に多く撃破された事で、装甲が厚い改造型の後継機BT−7を投入する事になる。

しかし大量生産された本戦車は他国に鹵獲されたり、改造したりで第二次世界大戦後まで

使用されたと言う。